梶りりは慈雨の中に居ます。

自分の人生に責任を持つために書いていく

失恋してから人生見つめ直した結果。

梶りりと申します。

昨年のクリスマス一週間前、26歳にして初めて出来た彼氏に振られました。恋人いない歴=年齢の喪女だった私がたまたま参加した合コンで、たまたま気に入られて告白されて、お付き合いしたのは1つ年下の男の子でした。恋愛というものはこれまでの人生で全く以て無縁だったので、彼氏が出来たことは夢のようで奇跡のようで嬉しかったのですが、よく考えると私は彼のことを好きではありませんでした。人として友人として好きではありましたが、恋愛感情として好きではありませんでした。

振られたのは、恋愛感情がないから。感情がないなら付き合う意味がないから。彼から切り出されました。

 

友人として会っていた頃と比べ、お付き合いをすることになってからは会うのが億劫になっていました。それでも「付き合っているのだから大丈夫」だと思っていました。根拠はないけど「大丈夫」だと。忙しさを理由に会う回数を減らし、私は億劫さから気を逸らし続けました。

恋愛ってこんなものなんだと思いました。漫画やドラマや映画で見るようにドキドキしないけど現実はこんな感じなんだなと自分を納得させていました。違和感。相手がいるのに物足りない感じ。満たされない気がしていたけど気づかないふりをしました。

それでもいいと思っていました。彼が付き合いたいというから、応えた。それ以上でも以下でもなくただその事実があるだけだと思っていました。

でも彼には恋愛感情がありました。私が持っていなかった感情がありました。

 

思えば私はいつからか自分のしたいことやりたいことで人生を決めなくなっていました。良い子でいたかったので、親や先生の言う事を聞くだけで自分で考えることをしなくなっていました。ただ言われるがままに高校、短大へ進学しました。しかしそこから私は何もできなくなりました。やりたい事を自分で決められなかったからです。ただ流されて何の展望もなくいよいよ卒業が近づいていきました。就職活動も真面目にやろうとしませんでした。当然内定も決まらず、毎日ぼんやり過ごしていました。卒業の6日前、東日本大震災がありました。被災地の近くだったので、卒業式は中止になりました。卒業証書は郵送で貰い、卒業の実感のないまま卒業しました。無職になりました。しかしとても不謹慎でありますが、自分が就職出来なかった正当な理由ができました。震災があったから仕方ないね。いろんな人に言われました。私もそうですねと答えました。でも本当は違いました。就職出来なかったのは震災など関係なく自分自身が何もやろうとしなかっただけなのです。逃げていたのです。とはいえさすがにずっと無職では生きていけないので、とりあえず仕事を探し、とりあえず採用された会社で働き始めました。言われたことはただやりました。自分の意思は関係なく、目の前のことをただやり続けました。きっとこのまま続くと思いました。ただ目の前のことをやり続ける。こなしていく。それが人生なんだと。それだけの人生でいいと思っていました。そんな中彼と出会い、恋愛が始まりました。仕事も恋愛も今、目の前にあるので、やらなければと思いました。自分の意思とは関係なくやらなければと思いました。毎日、毎日、やらないとだからやる。やりたいことなんてないから、今与えられているものをやるしかないと思っていました。

でも違いました。本当は私にも、やりたいことがあったのです。見ないふりをしていただだけであって感情が、思いはあったのです。従順なふりをして逃げていたのです。言われたことに応えるだけで自分の意思をもたないふりをすることは責任を持たずに済むから楽だったのです。

 

彼は私に自分の意思を教えてくれてました。最初にお付き合いをしたいと言ったこと。最後に別れたいと言ったこと。それは彼の本心でした。最初から最後までやりたいことや思いを教えてくれていました。

振られてからやっと分かったのです。私は彼の意思に従順なふりをして本当は全く向き合おうとしていなかったのです。

別れを切り出された日から眠れず、食欲もなくなりました。涙が止まらなくて、何をしようと思っても心が落ち着かない。なぜ?何もわからないと思いました。毎日痛む心を抱えながらしかし生活は日々同じように続いていきます。昔、失恋したクラスメートが一日中泣いていたのを見て何故そこまでに辛そうなのか解らなかったのですが、この歳になってやっと解りました。失恋は本当につらい思いをすることだったのです。失恋、ましてや振られることはとてもショックです。心臓が痛く、胸が苦しい。何にも集中できず、今までどんな気持ちで毎日生きてきたのか分からなくなってしまいました。嫌われてしまった悲しみと、一人になってしまった孤独感。不安と胸の痛みに押しつぶされそうでした。でも心の奥底では少し安心している自分もいました。本当は彼には私なんかよりもっと合う女の子がいるのではないかとずっと思っていたからです。私では彼の恋愛感情を受け止めきれないと本当は初めから分っていたからです。

 

自分の気持ちを見ないふりして生きていくことは平気だと思っていました。嫌なこともつらいことも気にしないふりをして、我慢して我慢して、自分は弱いのだと自分の心を卑下して、どんどん痛みに平気にになっていく、それが強くなることだと思いました。こういう生き方をすれば痛い思いをするのは自分だけだと思っていました。自分だけが傷つくなら大丈夫だと思っていました。

でも違いました。自分の気持ちに鈍感になるということは、他の人の気持ちにさえ鈍感になってしまうということだったのです。自分が痛みを我慢すればするだけ向き合おうとする相手の気持ちをないがしろにできてしまうのです。

今になれば、わかります。彼が私を想っていてくれたこと、そして心が離れてしまったこと。そもそも気持ちがないのなら付き合うべきでは無かったということも。

 

本当の気持ちはなんだったのだろうと考えました。自分の本当の気持ちはなんなのかと。何が好きで、何が嫌いで、何がやりたくて、何を望んでいたのか、何度も自分に問いかけました。わからないということはきっと無いと思いました。気持ちは自分の中にあるのです。無意識的であっても明確でなくても、その答えは自分の中にしかないのです。

 

彼から私は気持ちに誠実になること、真摯な気持ちで人と向き合う事を教わりました。その分私は彼をたくさん傷つけてしまったと思います。でももう今更どうすることも出来ないことだと思います。過去に縛られていては生きていけないし、傷つけてしまった事実は消えないのです。彼には感謝の気持ちでいっぱいです。だから彼には傷ついた分何倍も何十倍も幸せになってほしい、そう思っています。

 

そして私はもっと自分の欲望に忠実に生きることにしました。それは自分の選択に責任を持つことだからです。失敗しても間違っても自分の人生で責任を持って選んだ結果だと胸を張って生きていきたいと思いました。

だからこのブログは私自身の宣誓です。生きるための、逃げないための、負けないための、諦めないための、宣言です。

26歳。今更気づくには遅いかもしれないけどもっと本当の意味で強く、自信を持ってこの人生を生きようと思います。

 

2017年1月8日 夜明けに      梶りり